逸たり奇たり

バカが頑張ってどうでもいい事を書きます。

気色悪い実験

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頭の中を色々なものがよぎるのです。

 いや、当たり前じゃん!そう当たり前ですよね。常に悟りの境地に達しながら生活してる人なんて有史以来数えるほどしか存在しないでしょうね。そうじゃなくて、集中ができないレベルで色々なものがよぎるんですよ。

目の前で会話しているにも関わらず楽天パンダのCMがエンドレスでよぎり続けたり、周りの刺激(特に音)に引きづられてヤルべきことに集中できないとかそんなレベル。

取捨選択とかいうごく当たり前の行動がなかなかできないわけです。センサーがブッ壊れているようなんですね。勝手に反応してしまうんですから。おかげでいつも頭の中はパーリーナイ。ぱぴっぷぺぽっぱぷぅ~~~って聖恵も言ってたけどあれは事実だし現に今思考の波があっちゃ行ってこっちゃ行ってるのを自由にタイピングしてみたらとりとめのない当たり障りのない文章がとめどなく淀み無くスラスラと一本糞のようにモニターに映し出されていました。僕はこの現象を『ふんばりが丘』と名付けて大事に大事に懐にしまい、墓まで持っていこうと決めました。あっ、公開しちゃったわ。

 

ほっとくとこんな怖い文章を一心不乱に書き続けている自分がいて、空恐ろしくなります。というかもしかしてこれって僕が知らないだけで普通なんでしょうか?みんな頭の中で考えたいことだけ考えられるのが普通なんだと思っていたので、考えたい事になかなか集中できないこの頭がおかしいんじゃないかとずーーーーーっと思っているんですが、比較する対象がないため検証できないんですよね。

なので、文章を書くという事は頭の中を整理するのにもってこいの手段なのです僕にとっては。頭の中をよぎっては通り過ぎ、よぎっては追い越していく。そんな一瞬前の事すら覚えていられないほどのパーリーナイサーキットを整理する手段として有効なのは言うまでもないのです。なぜなら書いた事は今自分が考えていた事であり、それを文章に起こし視覚化する事によって思考の前後が関連付けやすくなるから。というかこうでもしないと自分が何を考えてどういう事を言いたいのかもよくわからないのです。こう書くとほんと自分やべえなと思う。

 

何が言いたいかというと、僕にとって字を書くことは精神衛生的な面を正常(?)に保つための手段として有効であるという事をただ無闇につぶやきたかっただけなのと、思った事を思ったように文章に綴るとどのくらいの時間で書き上げられるのか、どんな生々しい文章になるのかという実験も兼ねているという事のトリプルスタンダードなのでしたー!パフパフー!

 

ここまでバーっと書いて30分くらいでした。編集なしの散文なので非常に読みにくいと思います。本来ならある程度書き上げた時点で何度も推敲が入るのですが、今回は実験のためそのまま公開する事にしました。文章の繋がりから構成からかなり支離滅裂で非常に生々しい文章が書き上がってしまって自分で気持ち悪いです。ものすごい編集かけたい感がMAXです。でも今回の記事を後々読み返した際に今後の戒めになるんじゃないかなと勝手に思っているので、このままイキます。

それにしてもこれ公開するの勇気いるな…

女子集いて男子討ち滅ぼさんとする

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『cuicui2016』っていうカメラ女子向けのイベントが盤渓で開催されてたんですよ。

 

僕がカメラ女子っていうカテゴリに属してないのは百も承知なんですがね、それでもその場に足を向けたのは決してどす黒いエロから来る感情などではなくて、

 

純粋に

 

ただ純粋に

 

写真と女子を愛してやまないという、そんな不器用なリビドーを抑えきれなかったからですこのガッデムが!肌色の多い写真や動画が特に好きです。

 

 

このブログを読んでいる方はそろそろこんな戯言をスルーするスキルを身に着けていると思うので続けます。

 

『cuicui2016』はNikonCanonなどといった主要カメラメーカーの協賛の元に、写真家である”渡邉真弓”さんが

『北海道に住む写真とカメラが好きな女性が楽しみながら体験したり学んだりできる場を作りたい』

という理念によって主催されている、北海道初の女性向けフォトフェスだそうです。

ワークショップや企業出展ブース、ちょっとしたカフェなんかもあって、カメラ好きがゆっくり見て回れる体験型のイベントになっていました。僕のようによこしまな感情でもって訪れる底辺男性をことごとく撃退するのに充分な雰囲気と言えるでしょう。

僕以外にそのような視点で参加していた男性の割合は清々しいほどにゼロだったので、撃退される様を目撃する事は叶いませんでしたが。

 

ところでこのイベントの企業出展ブースですが、メーカーによってはレンズの貸し出しを行っている所もあるのです。最新のレンズがこれでもかというほど整然と並んでいる姿はまさに壮観。卑しい根性でついつい値段を数えてまうでぇ…!

という事で今回はTAMRONタムロン)というメーカーの

SP90 F2.8 VC USD Di

というレンズを借りてみる事にしました。

何?と。

え?呪文?と思われる方もいらっしゃる事でしょう。僕だってパッと見わかりませんよこんなの。もっとウルトラソニックリフレクターとかギャラクシアンストロングライトレンズマーク90とかわかりやすくてかっこいい名前にしてくれよって思いますわ。ちなみにこのレンズの名前を解読するとこうなります…

 

タムロン社製高級レンズ 90ミリ画角固定 明るさ2.8固定 手ブレ補正付き 超音波モーター内蔵 フルサイズデジカメ対応レンズ

 

ギャラクシアン(略)のがわかりやすいって絶対。

このギャラク(略)を使ってみた所、普段使ってるレンズとは一線を画す素晴らしい使い心地だった事をここに宣言します。

まず何はなくとも、とにかく綺麗なんですよ画が。

単焦点レンズという、画角が決まっていてズームのできないレンズなんですが、そのぶんピントの合った部分のクッキリした解像感や背景のボケ具合が半端ないんですね。髪の毛だって一本一本滑らかに写るし、被写体を浮き上がらせるためのボケも大きくて綺麗。

これなら毛穴の黒ずみだって乳首のブツブツだってありのままに写し込めるんだで!!

 

な?どうでもいいだろ?僕に語らせるからこんな事になるんですよ。諦めて最後まで付き合ってくださいよ先輩。

 

あとフォーカスが爆速なのがほんと気持ちいいんです。今持ってるキットレンズがニュイ-…って感じでフォーカスするのに対し、このレンズはチュイッ!って感じでそれはもう関西のツッコミかな?ってくらいタイミングを逃さないわけですよ。

フォーカススピードの違いってまじで3割くらい撮影の成功率アップに貢献すると思ってるんですよね(もちろん状況によりますが)。それを身をもって体験したわけです。

そんなこんなで嫁と子供を差し置いて自分だけおだちまくってきました。まあ子供は走り回って楽しそうだったしいいか。

いやーそれにしても明日からあのレンズが無いと思うとガックリきてしまいますわ。

やっぱり行くんじゃなかったわ。後悔した。

 

(当然嘘です)

 

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やっぱりうちの女子はたまらんな~色気あんな~

ジュル

A Three Days BOZE

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みなさん諦めてますか?

人間、潔く引きどころを悟る事も大切です。それは時として次のステップへと進むための鍵ともなり得るのですから。

それはそうとして、巷では飽きっぽく長続きしない様を『三日坊主』と呼びます。

三日坊主

僕はこの不遜なる生臭坊主の存在について常に懐疑的であり、様々な角度から研究を重ねてきました。今日に至り、僕なりに導き出した三日坊主の正体について見解を述べていこうと思います。聞きたくなくても聞かせます。

残念だったな!

 

どこから来るのか?

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さてこの三日坊主、どこからやって来るんでしょうか。坊主というからには寺から来る説が一般的でしょうね。考えられる選択肢として

この三つが挙げられます。まず近所の寺…
これがどの程度近所なのかによりますが、二、三軒挟んだ先くらいだとすると、通常の移動手段で三日もかかるとは到底思えません。
 
ただそこは三日坊主…飽きっぽいハゲで長続きしないクズという事なので、着替えや仏具の準備に手間取る事もあるでしょう。
何なら袈裟とかを売った金でパチンコ打ってから行こうとするかもしれない。檀家さんから巻き上げたお布施で購入したベンツに乗って。
そんなこんなで寺を出立するのに三日かかった可能性も捨てきれないのです。三日坊主の気質を鑑みるに、充分あり得ると言ったところ。ベンツごと奈落の底か、または地獄の最下層コキュートスに叩き落としてやりたいですね。檀家さんの中に退魔師あるいは悪魔王はおられませんかね。
 
 
次に遠方の寺。移動に三日かかる距離というと、だいたい日本からマチュピチュまでの道のりに相当します。
 

 
成田からアメリカのどこかを経由してリマへ
 
リマから国内線に乗り換えてクスコへ
 
クスコから鉄道でマチュピチュ村、またはクスコからバスでオリャンタイタンボ、鉄道に乗り換えてマチュピチュ
 
 
一般人でも辟易するこの道のり、飽き性が天元突破している三日坊主にしてみれば、地獄への参勤交代に等しいものと思われます。費用も25万円ほどからと、袈裟ひとつ売ったくらいじゃまかなえない金額。最上位の紫衣とかなら話は別かもしれませんが、そもそも紫衣は三日坊主ごときに纏えるようなシロモノではないと思われます。
よって可能性は限りなく低いと言えるでしょう。三日坊主がペルー人ならありえるかもと言った所。
 
そして三つ目のガンダーラに至ってはもはや坊主が目指すべき場所なので、ここから『来る』という選択肢は有り得ないでしょう。
だったら三つ目に入れるんじゃねえよ。
すいませんガンダーラ絡めたかっただけです。
 

普段の生活は?

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日々慎ましく精進する坊主の事だから、さぞ質素な食生活を送っているんでしょう。精進料理とかいう草と茎だけの草原みたいな料理で食い繋いでいます。
でもそこは三日坊主。三日もあれば精進料理なんか余裕で飽きる事でしょう。僕だったら二食で飽きるので、三日間精進料理なんて地獄以外の形容詞が見つかりません。コキュートスですよコキュートス。そのへんの草と茎で三日も保つ奴がいたらそいつは間違いなく牛か岡本信人ですよ。待てよ、つまり岡本信人は牛だった…!?
 
 
 

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確かにほぼ見分けが付きません。
 
 
 
坊主はご馳走を求めて山に入ります。彼らが行くのは人の立ち入らないような聖域。白神山地の奥地や沖ノ島
穢(けが)れ無き地で食べる草はそれはもう格別でしょうね。なんなら土だって神の味が隅々まで染み渡っている事でしょう。そんな大地の恵みに感謝しておいしくいただくのがアイヌの掟だってゴールデンカムイに描いてあった。

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住職不在時の留守は?

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三日坊主が我々の元に滞在している間の留守はどうしているんでしょう。檀家さんも困っているんじゃないでしょうか。
 
でも最近ではお経を録音で済ませたりする事もあるそうなので、意外とうまく回っているのかもしれません。恐らく寺ごとにレーベルもあって、ラップ調やヘビメタ調のお経BGMだって出回っているはず。
 
YO!オレがSO!三千世界を救うぜBOZE!
(いきなり住職!イキがり転職!)
男は度胸でキメるぜ読経!
ナ・ム・ア・ミ・D・U・B!
 
みたいな事で住職がいなくても檀家さんだけで適当にパーリーピーポーしてるんじゃないんですか?知らんけど。
 

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※本当にやってました

 
総括すると、坊主も檀家さんも意外と楽しんでいるという事が判明しました。まあ三日坊主なんてあてにならないし、三日坊主だって檀家さんを金づるとしか見てないだろうから、お互い適当な距離感で折り合いをつけてHO!とかYO!とか、あとSO!とかGI!とかやってるのが最善なのでしょう。闇深いわー。

聖なる屑

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手稲区に巣食う虫ケラとまで揶揄された僕ですが、どうにか今日まで生き永らえる事ができ、無事に35歳を迎える事ができました。

 

誕生日というものは毎年訪れるものです。しかしそれは一段登るごとに確実に死に近付き、いつ崩れ去るとも知れないステアウェイ・トゥ・ヘブン・オア・ヘル

そんな暗い一歩を嫌でも意識せざるを得ない憂鬱な日…

毎回毎回どんな心持ちで迎え入れたらいいのでしょうか。

 

絞首台に登る死刑囚?

 

ビルの屋上へ向かう自殺志願者?

 

バカ言っちゃあいけねえ!

 

 誕生日とは!

人がこの世に生を受けた聖なる祝福の日!

勇気とは!

恐怖を我がものとし、それを乗り越える心!

すなわち加齢を受け入れ、ナイスミドル(死語)への道を切り開くこと!

 

亡きツェペリさんの言葉を胸に、8月7日という日を知り、最大限に見解を広げる事にした僕に隙はありません。矢でも鉄砲でも石仮面でも持って来いや!

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そんなわけでまずこの8月7日という日がどんな日なのか調べてみた所、様々な表情を持っている事が判明したのでご紹介したいと思います。

 

花の日

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わかります。わかりますよ。8月7日ですからね。ハナの日ね。きっと花のテーマパークでイベントやってたり、身近な人に花をプレゼントしましょうみたいな風潮があるんでしょうね。花だってそんだけフィーチャーされようもんならテヘペロしながらも花だけに草葉の陰から見守ってくれる事でしょうね。いやー、ご冥福をお祈りします。

 

鼻の日

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うん、ちょっとどうしようか。鼻をどうすればいいんですかね。この日が制定されるという事は鼻がそれなりにピックアップされるわけなんですけど、フックをかけたらいいのか、はたまたテープで吊り上げたらいいのか未だにはっきりしないのです。最近だとザリガニに挟まれたり、ガキの使いイジリー岡田に鼻ペロされたりと、バラエティに富んだフィーチャリングが形成されているみたいなんですけどね。僕は鼻炎持ちなのでそういった事を少しでもされようもんなら最低でも30発は入れてやろうと思います。山吹色の波紋疾走(サンライトイエローオーバードライブ)を。

 

バナナの日

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だいぶ無理を感じるようになってきました。8月77日とかは存在しないので、恐らく8月7日の7時のみの限定なのでしょう。朝から演技のいい方角を向いて無言でまるごとバナナにでもかぶりついたらいいんじゃないですか。僕は好きですよ、あのパッケージを剥がす際に必ず袋のはじっこに付着するクリームとかね。逆にあれにイラつく奴はまるごとバナナの何たるかをわかってないニワカと断言できますよね。そんなゆとり世代は海苔がきれいに巻けるコンビニおにぎりでも開封してればいいんですよ。僕はそれを剥くのに失敗した時にパッケージに残された海苔カスも、カップアイスを開封した時に蓋に付いてくるアイスカスも別け隔てなく愛でる博愛主義者ですけどもね。むしろあれが本体だと思っています。バナナ?ごはん?アイスクリーム?あんなもの飾りです。偉い人にはそれが分からんのです。

 

のび太の誕生日

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いかんともしがたいとはこの事。

頭は悪いわ運動神経はないわ…人望も無く、ただ部屋に引きこもって惰眠をむさぼるだけのみじめな存在…

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http://cdn.snsimg.carview.co.jp/minkara/blog/000/023/846/807/23846807/p1m.jpg?ct=3e9da1746bdb

「のび太」の画像検索結果

https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcRgHd74o8LOVzd6wP6WfPErHicHw5adY3V_SE4SCZ6i9SbnD1tYFw

こんなドクズにどう共感したらいいのか。僕との共通点なんて、頭が悪くて運動神経も人望もなくて寝てばっかりな所くらいしかないじゃないですか。

そっくりやんけ。

ニセコ不思議キャンプin比羅夫

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ニセコの比羅夫に小さなJRの駅があるんですが、そこにキャンプしに行ってきました。

比羅夫駅は国有化されておりながら、とても小さな駅舎です。貨物取り扱いはすでに廃止されており、改札は無人、車両編成も一〜二両…と、まさに陸の孤島といった様相を呈しております。

そんな比羅夫駅、実はここ駅舎まるごと宿泊施設として使われているのをご存知でしょうか。

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駅の宿ひらふ

 

駅舎が宿泊施設として利用されているのは全国でもここだけ。そりゃね、そうそう宿として使えるもんでもあるまいよって。

更にこの宿、駅のホームでBBQもできるという素敵仕様。

鉄道の駅とBBQという、方向性的にロンパリこいているもの同士を組み合わせる事に成功した稀有な例ですね。テリー伊藤がプロデュースした番組でゴーストライター新垣隆がピアノを弾くとかそんな感じでしょうか。更に音楽に乗せて山下智久が歌い、サビの所で窪塚洋介がマンションから飛び降ります。これはヤバい、ヤバすぎる。テレ東あたりで放送してもらえませんかね?

 

それは置いといて、実際にはどうかというと…

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シュール。

 

駅で肉を焼いている所に電車が停まり、乗客が肉の匂いにつられて降車してくる…

自分でも何を書いているのかわからなくなってきました。こんなもん非日常過ぎて楽しいにも程がありますよね。スカイダイビングやらバンジージャンプなんかよりずっとエキサイティングな体験ですよこれ。どっちもやった事ないけど。高い所こわいし。

 

BBQスペースは他のお客さんも共同で使っているので、心地よい距離感でふれあいを楽しむ事ができます。東京からわざわざ噂を聞いてやってきたお客さんもいたので、どうやらちょっとした有名なスポットみたいですね。確かにこれだけ珍しい場所は話のネタにもなるわな。

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夜の駅舎のノスタルジックな雰囲気がたまりませんね。失禁しそう。

ただ大自然のド真ん中だけあって巨大なアブやら蛾やらカトンボやらがそこらじゅうに飛び回っています。虫が苦手な方は失禁と脱糞、嘔吐や発熱に加え、動悸息切れ、肩のこりから目の疲れ等の各種症状の発露に警戒を。特にアブなんかは見たことのないデカさのやつもいるので、ビックリしてポックリ逝かないようにしていただきたい。蚊帳付きタープの使用をお勧めします。

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JRは数時間に一本といった所。僕は田舎の出身なのでそれほど気になりませんが、都会のダイヤからすれば考えられない本数ですよね。札幌に出てきた当時、数分ごととかいう地下鉄の鬼サイクルにドン引きした覚えがあります。

 

そんな感じで、普段ではなかなかできない体験を楽しんできました。

雰囲気のよさに加え、気さくなオーナーの心遣いでとても居心地よく過ごす事のできる宿でしたね。

宿泊費も安いので、ニセコで手軽に泊まれる宿として候補に入れてみて下さい。唯一無二の体験が貴方を待ち受けている事でしょう。

その際、虫除けアイテムはフルセットでご持参下さい。

 

ニセコの虫は正直、ガチだぜ!

目の前の光景が真実ばかりとは限らない


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どうも、0.02です(視力)。今日は前々から僕の頭を巡っていたとある疑問について掘り下げていきたいと思います。その疑問とは、
 
メガネをかけている人には本当の世界が見えているのか』という事です。
 

我々人間は眼球を通して外部の情報を映像として取り入れ、脳で処理を行います。

 
メガネ野郎が問題なのはここ。外部の情報を取り入れる際、自分と外界の間にレンズを一枚噛ましているという事になります。これは言うなればフィルター越しに世界を見ているという事になる。
 
例えばコーヒーはフィルタを通すことによって雑味を取り除き、旨味だけを絞り落としますが、これはコーヒーそのものを味わっている事にはなりません。おいしさだけを抽出し、おいしさだけを我々に伝えているのです。
いらないものは削ぎ落とす…人間のエゴが透けて見えますね。そこにコーヒーのすべてが存在するはずもないのです。豆を食え豆を。
 
何が言いたいかというと、我々メガネ野郎と裸眼の一族とは見ている世界が違うという事です。
世界が違えば立場も違ってくる。
raganとmegane。近くて遠い存在。
 
映画『マトリックス』はご覧になりましたか?仮想現実と思っていた世界こそが真実であり、真実の世界は混乱と絶望に満ちていた。主人公のネオは本当の自分を取り戻し、絶望の世界に抗うべく目覚めたのです。
 
我々メガネも、裸眼の一族を救うべく行動を起こすべきなのではないでしょうか。
そう、今こそ立ち上がる時。メガネを捨て、偽りの姿を捨て、真実をありのままに受け入れる。それは安寧の日々を捨て、真なる世界を手に入れる瞬間に他ならないのです。
立てよ、国民!外せよ!megane!
 

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絶望しか見えねーわ。

囚人はいつしか囚われている事を意識しなくなる

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前回の更新からもう一ヶ月以上経ってしまっていてアレですが、覚えておられますか?そうです僕ですゴミムシです。ミイデラゴミムシです。

 

定期的に更新などと偉そうな事ばっかり公言する割に行動が伴っておらず、痛恨の極みでございます。かっこよく言うとスランプに陥っていました。

ブログを書くにあたって『面白い記事を書かなければいけない』という強烈な自己プレッシャーが日に日に増大していくのを感じ、勝手に自滅していった次第です。

そもそもこのブログ、誰にも何も強制、強要されてもいないし、ただただ自己満足を垂れ流すだけの掃き溜めとしての役割だったはず。それが自分の中でいつしか崇高な使命であるかのように位置づけられていったのは、ひとえに他人との結びつきを意識したためではないかと思われます。

自分には何もない…日頃からそんな鬱屈した精神を抱えた人間が多少なりとも自分の存在を肯定するためにする事は何か。それは自分のした事で他人の心に何かを残す事です。

様々な形で顕在化するそれは時に人を楽しませ、時に人を傷付けもします。僕の場合はたまたま人を傷付けない(であろう)方法だっただけです。

無い脳味噌を捻り上げて作り出したものに対し、多少なりとも反応があると心が躍るのです。事実はどうであれ必要とされている気がして。

その一連の流れが今の自分にできる精一杯で構成されていなくてはいけない。

↑今思えばこれが失敗の元でした。仕事ならまだしも、自由なコンセプトに対しては本末転倒そのものです。この錯覚が根底にこびりつき始めると自分の中で妥協が許されなくなってくるのです。ワンセンテンスの伝わり方を数時間かけて悩みぬいた事もありました。そうして視野がどんどん狭まっていく事に気付きもしない。そのうち身動きとれなくなってジ・エンド。

いわゆるひとつの悪循環。これがスランプの正体ですね。腐った闇の底を布切れ一枚でうろうろしてる僕はどれほど滑稽な存在だったでしょう。

 

…と、そんな中。きっかけのひとつもあれば抜け出せるってのもまた人間。

坂爪圭吾さんのいばや通信を読んでいたら、ガーーーンと。後頭部をバールのようなもので殴られたような衝撃が走りました。取るに足らない小さな悩みで限りある人生を無駄に消耗してたんだなーと思い知らされましたね。

ibaya.hatenablog.com

 

この人みたいには到底なれないし、僕がこの人みたいになる必要も全くないんですけど、こんな精神的な充実を味わってみたいと思わせる人ですね。人間としての完成度が尋常でない。時代が時代なら聖典のひとつも出してるんじゃないですかね?

そんないい影響を受けて、僕の文字を起こす手も心なしか軽快です。

好きなこと好きなように書けばいいじゃない。

そう言ってもらえたような、そんなような。

 

おかげでまたウンコチンコのろくでもない記事が書けそうですわ。

やったぜ!オ◯◯コーーーーー!!!

(早速やらかしました)